だから国語が嫌いだった

こんにちは。サイちゃんです。

今日は、昨日、紹介した記事を、もう少し掘り下げてみます。

「60を半分で割って20を足した数字の答えは?」という問題。

「『半分=1/2』と解釈することもできそうです。この場合も、議論の余地はあると思います。『言語はジェスチャーゲームである』という仮説に基づけば、問題は『半分』という言葉を聞いただけで『1/2』を連想する人々のコミュニティに属しているかどうか」
「60を半分で割って20を足したら?」不正解続出の「算数ひっかけ問題」に反響「ビジネス現場で炎上する未来が…」「やーい引っかかった」

問題を解きこむ理由は、ここにあって、この問題を誤植がないとすると、「半分」が、何を指しているかということになります。
「60の半分の30」と読み取れなくもないですが、「その」が抜けているため、忖度して、60の半分であると推察するしかありません。
文章をそのまま読むと、当然、算数のテストなら、記事の指摘のように、「半分=1/2」と解釈することが妥当です。

結局のところ、テストや問題集だと、算数や数学と言ったコミュニティーに属しているものとして出題してくるということです。
だから、算数のテストで半分と言われたら、「1/2?」と考えるのが妥当です。
それでも、意味不明な問題であることには変わりません。

コメントの中には、「算数でこういう問題に引っかかって問題を読めと注意される度に、作成者の国語能力が問題あるよね?と反抗してて苦手意識がある」という、切実な声も寄せられました。

とのことですが、まさにその通りで、こういう困った独りよがりな問題というのは、意外と多いです。
特に多いのは、学校から出されているワークとか、学校の先生オリジナルの問題が含まれた定期テスト。

定期テストで多いとなると、致命的です。
意外と多いので、忖度する力が必要になるんです。
忖度するためには、問題演習をすることですね。

ただ、やりすぎると、記事の中でも書かれているように、勝手に脳内校正してしまって、真意が読み取れなかったりするんです。

八方ふさがりのような状態です。

「これだから小学校の頃の算数が嫌いだった」

でも、まだ、算数・数学は答えを見ると、数式という別のアプローチがあるから、出題者の意図がわかるので、まだマシです。

でも、国語となると、なんでそうなるのか、意味不明なことも多いです。でも、本文しか見るところがないので、それが読み解けない。
だから、国語が嫌いだったと塾長。

とどのつまり、

「幾つかの読み取り方ができる問題文というのは、問題文として不適切。誤解を生じさせない書き方をしないと、『やーい引っかかった』という小学生レベルのバトルになる」

ということ。

出題者が、きちんとした問題を作ってくれたら良いのだけれど、そんなしっかりした問題が意外と少ないというのが事実です。
だからと言って、出題者を責めても点は上がらないので、対策が必要ということかな?

ちなみに、入試はかなり作りこまれているので、このようなことになることは稀です。
仮に出題された場合はニュースになって、対処されるので大丈夫です。
安心してくだサイ。


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