作成者別アーカイブ: サイちゃん

サイちゃん について

ScienceLab冨田塾の第一助手のサイちゃんです。 塾の広報活動してます。

選挙

こんにちは。サイちゃんです。

塾長が、久しぶりに、期日前でない投票に行ってきました。
基本、期日前投票。
今日は、出口調査もしてなかったらしいです。

久しぶりに行って、ちょっと掲示物を見ていたら、

18歳未満の人は入れませんと書いていたらしいのですが、
但し書きで、
選挙する人の同伴なら、18歳未満でも入場可能なのだそう。

知らなかったです。

「投票スタイルコレクション」のCMで、親子コーデが出てくるのが不思議でしたが、そういうことらしいです。
確かに、見てたら親子で投票に来ている人もいたそう。

これは、選挙に同伴した経験というのも、立派な教育になりうるということ。
選挙の勉強が始まった時に、「選挙?なにそれ?」から始まるのと、
「選挙?行ったことあるぞ」と思いながら授業を聞くのは、全く違います。

すぐに、衆院選があるという話も聞きます。
次の選挙は、ぜひ、親子で投票に行ってくだサイ。

良い匂い

こんにちは。サイちゃんです。

道端で、どこからともなく良い匂いがするなぁと思ったら、
今日は土用の丑の日のようで、ウナギ焼いていました。

暑い夏も、ウナギを食べて精をつけて乗り切ってくだサイ。
夏休み初日が土用の丑の日って、夏期講習頑張れよって感じです。

終わり

こんにちは。サイちゃんです。

1学期、終了しました。
明日からは夏休み。
全然、そんな気がしないですが、夏休み。

切り替えて、しっかり休みながらも、しっかり勉強してくだサイ。

学歴と賢さは関係ない?

こんにちは。サイちゃんです。

今日ご紹介する記事は、こちら。

もちろん例外はありますが、一般的には関係性はあると思います。
やはり、高学歴の人のほうが賢い人は多いのではないかと僕は感じます。
「『本当の賢さ』と学歴はまったくの別物だと思います。低学歴でも地頭はいい人はいます」。学歴と知力の関係性を考える

学歴と賢さは全く別物というのには、同感です。
ただ、必ず相関は出ます。

それは、勉強することによって賢くなるし、賢い人は勉強するからです。

そもそも、これを問うた瞬間に、「あぁ、この人賢くないんだろうな・・・」と思います。

と言うのも、それなりに賢ければ、今の日本において、学歴がそれなりに必要であることは問うまでもなく簡単にわかります。
問う意味がありません。

そして、もっと賢ければ、そもそも関係ない事を人に確認するまでもなく、自分で関係ないと結論を出せます。

なので、それなり以上に賢い人は問いません。

なのに、こういう問いが出るのは、勉強したくないからです。
それだけ。

逃げたいから、本当に賢い一部の例外を持ち出して、こういう例外もいると言って、学歴を否定しているだけです。

だから、こういうことを問うてくる人には、
「それで、あなたはその例外になるために、どんな努力をするのですか?」
と問いたいです。

その努力をしているなら、それはそれで良いと思います。

ただ、こう考えた時、武井壮の言葉が頭に浮かぶんです。
ちょっと曖昧ですが、こんなニュアンスのことを以前言っていました。

「自分は、全てをかけてトレーニングして、日本チャンピオンになったけれど、日本チャンピオンとはこの程度のものなか?これで、これからどうやって生きていけばいいのか。周りの大人たちに、この現実をもっと早い段階で教えて欲しかった」

つまり、スポーツに全振りして日本チャンピオンになったけれど、日本チャンピオンでは、ご飯は食べていけない。今この瞬間、人生に迷っている。

もう1つの矢が欲しかったということだと感じます。
それはきっと勉強のことだと思います。

なので、ボクが言えることは、勉強してくだサイ。

あと4日

こんにちは。サイちゃんです。

ちゃんとニュース見ていますか?

予想以上に混沌としていると塾長。
奈良の期日前投票所は、2時間待ちとの報道もあって、注目されています。

これは、きちんとニュースを見ておいてくだサイ。
かなり荒れるので、詳しい解説が入ると思います。

日本の政治の仕組みを理解する良い機会です。

そして、選挙後も荒れると思います。
選挙後も、しっかりニュースを見てくだサイ。
テストに出るし、入試にも出るかもよ?

夏休みに向けて

こんにちは。サイちゃんです。

1学期も今週でお終い。
早い早い。

ということで、例年の夏休みの予定の紙を中学生に配布しています。
記入して、夏休みまでに提出してくだサイ。

夏休みは、腰を落ち着かせて勉強するチャンスです。
積極的に参加してくだサイ。

久しぶり

こんにちは。サイちゃんです。

今日は、久しぶりの雨。
久しぶりです。

今日は雨が降ったので、畑に水をやらなくていいと塾長が喜んでいます。
気温も下がって、涼しくていいです。

さて、時期的にも、梅雨が戻ってきたのかな?というような雨でしたが、
今回の雨は、低気圧による雨。

もう低気圧は過ぎ去ったみたいなので、また、明日から暑くなりそうです。

皆さん、暑さ対策はしっかりしてくだサイ。

勉強する意味

こんにちは。サイちゃんです。

今日ご紹介する記事はこちら

勉強する意味についてはなにかと議論になりがちですよね。受験生が受験科目に対して「大人になったら使わないのにやる意味がわからない」と言うシーンをこれまで何度も見てきました。
気持ちは理解できますが、意味は自分で見出すものなのではないかなと個人的には感じています。
「受験の勉強内容は大人になったら使わない」は本当か。「学ぶ」ことの意味と本質を考える

勉強する意味。
それは、人に与えられるものではなく、自分で見つけるもの。
なるほどです。
そして、「意味がないとやらないんですか?」は、本当にそう思います。

意味のない無駄なようなことが、実は人生で重要だったりします。
ただ何もせず、ぼーっと過ごす時間も絶対に必要です。

今やっていることは、いつか役に立つかもしれないし、もしかしたら立たないかもしれない。
それでもやることが、血となり肉となり、いつかどこかで結実するということなんでしょう。

まぁ、知識や経験がなければ、死んじゃいますしね。

学びたくないことも学んでいるからこそ、学びたいことが学べるんです。
これが理解できると、自然と学びたくなるのですが。なかなか難しいかな?

勉強する。大事なことです。やりたくなくても取り組んでくだサイ。

学校の勉強って役に立つの?

こんにちは。サイちゃんです。

「共通テスト(新センター試験)の数学は、数学がある程度できるようになれば、慣れれば解けるようになる」
との意見を見つけました。

ボクも塾長もその見解にはおおむね賛成。

ただ、その意見には続きがあって、
「ただ、「そのある程度できる」のレベルが高すぎる」
とのこと。

なるほど。

でも、これを読んでちょっと腑に落ちました。
全く同意見でも、他の人が言語化して文字にしてくれると、新しい気づきがあります。

共通テストのコンセプトは「活用」。つまり、実生活に教科の内容を落とし込むというもの。
落とし込んで、活用するということです。

活用するためには、表面だけでなく、基礎・基本から応用まで、きちんと理解しておく必要があります。
それなりのレベルを要求されるのは理解できます。

でも、これってつまり、実生活で学校で勉強したことって役に立つの?という話。
役に立つんです。役に立つから、共通テストが作れるんです。

でもね、役に立たせるためには、それなりのレベルが必要ということ。

今まで、そのレベルに達することなく卒業した大人たちは、学校の勉強を生活で使うことができません。
となると、役に立たないと感じるわけです。
そして、その大人たちの様子を見た子どもたちは、「本当に必要なの?」と感じるのだと。

すごく腑に落ちました。

役に立つのか?なんてバカなことは考えず、役に立てられるくらいしっかり勉強してくだサイ。

国はエリート教育に舵を切っている

こんにちは。サイちゃんです。

今回紹介する記事はこちら。

2030年度以降の施行が見込まれる「次期学習指導要領」について、7月4日、文部科学省がその一部を先行して見直す方針を打ち出しました。
(中略)
これまでの学習指導要領では、評価の観点を「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に学習に取り組む態度」の3つに分けて、定期テストの成績や提出物の状況などをもとに総合的な評定を行っていました。しかし、今回の見直しではこのうち「主体的に学習に取り組む態度」を成績(=評定)に反映させず、個人内評価にとどめる方向で整理されました。
「授業態度=成績」の時代は終焉? 次期学習指導要領の新方針で“泣く生徒”と”救われる生徒”の差

要は、勉強できないけど、真面目にコツコツ取り組む子の評定が下がるということです。逆に、点は取るけど、授業態度が悪かったり、努力せずにセンスだけで点を取る子の評定は上がるということです。

国は、いよいよできない子を切り捨てにかかっているようです。

今まで、この「態度」が、出来ない子の救済になっていた部分があります。
しかし、この「態度」を評定から外すと、出来ない子はその出来ない様子がそのまま評定に反映されてしまいます。これで良いのでしょうか?

そして、記事中では批判として載っていますが、
「教師の求める振る舞いを生徒が過剰に気にしてしまったりすることで、『隷属する主体性』が育まれてしまう」という話。
確かに、そういう負の側面もありますが、言い換えると、
やんちゃな子も、進学したければ、教員の言うことを聞かなければいけないということになります。
反抗期の中高生を抑え込んで秩序を守る教員の武器の1つでもありました。
それを事実上奪うことになります。

これ以上、教員から武器を奪って、学校の秩序は維持できるのでしょうか?

これは、ちょっと下位層にとっては、どうにも改悪でしかなく、
やっても出来ない子から、やる意欲すらも奪ってしまうのではないかと心配になります。

上位層にとっては、記事にある通り、公平になるからメリットの方が大きいのだろうと思います。
ただ、上位層は、何をやっても出来るので、進学先くらい自分で何とかできるし、出来るからこその上位層です。

最近の流れは、上位層のことしか考えていないように感じます。
下位層を切り捨てているようにしか思えません。

1億総中流社会ではなく、ふたこぶ化した格差社会を目指しているのだろうなと思います。

これで良いのかなぁ?皆さんはどう思いますか?

ボクには、「だからこそ勉強してくだサイ」としか言えないです。