こんにちは。サイちゃんです。
何で勉強しなければいけないの?こんなの勉強して、何かの役に立つの?
なんて、お約束の質問。
塾長は、死なないため、長生きするため、損をしないため、なんて、答えます。
詳しくは、こちらから。
でも、最近強く思うのは、勉強の仕方を勉強するためなのではないかということ。
今回、目にとまった記事はこれ。
慶應商学部卒で学習塾に就職した男性の悲哀
卒業したときは30歳、商社は「全滅」だった
現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。
今回紹介するのは「学習塾で教室長をしています。休みは日曜日のみです。出身大学は有名私立商学部なのですが学習塾でしか職がありません」と編集部にメールをくれた、41歳の男性だ。
https://toyokeizai.net/articles/-/303394
貧困に関する問題点を扱う記事は多いです。
そのなかで、「自業自得」という言葉がよく使われ、それを否定しています。
自業自得と言う表現があっているのかはわかりませんが、でも、それを否定しても良いのでしょうか?
記事の中でも、「誰も教えてくれなかった」と書いてあります。
でも、それは違います。
常に疑って、自分でアンテナを張り巡らせ、情報を収集する、これも立派なスキルです。
そして、この手の問題は、中学校の社会の教科書にたくさんのヒントが書かれています。
このヒントをもとに、自分で、勉強するべきことです。
このスキルを身につけることが出来なかったため、損をしているのです。
つまり、「自分で勉強するスキルを身につける」これが、勉強するということだと思います。
この訓練と、ヒントとなる知識を得るために、小中学校の勉強があるのだと思います。
将来、健康で文化的な最低限度の生活を営むために、必要不可欠なヒントを学ぶこと。そして、スキルを身につけること。これが、勉強です。
当然、今勉強していることは、直接、将来役に立つことは少ないです。
でも、それで良いんです。問題はスキルを身につけることなので。
しっかり、勉強してくだサイ。