こんにちは。サイちゃんです。
今回紹介する記事はこちら。
2030年度以降の施行が見込まれる「次期学習指導要領」について、7月4日、文部科学省がその一部を先行して見直す方針を打ち出しました。
(中略)
これまでの学習指導要領では、評価の観点を「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に学習に取り組む態度」の3つに分けて、定期テストの成績や提出物の状況などをもとに総合的な評定を行っていました。しかし、今回の見直しではこのうち「主体的に学習に取り組む態度」を成績(=評定)に反映させず、個人内評価にとどめる方向で整理されました。
「授業態度=成績」の時代は終焉? 次期学習指導要領の新方針で“泣く生徒”と”救われる生徒”の差
要は、勉強できないけど、真面目にコツコツ取り組む子の評定が下がるということです。逆に、点は取るけど、授業態度が悪かったり、努力せずにセンスだけで点を取る子の評定は上がるということです。
国は、いよいよできない子を切り捨てにかかっているようです。
今まで、この「態度」が、出来ない子の救済になっていた部分があります。
しかし、この「態度」を評定から外すと、出来ない子はその出来ない様子がそのまま評定に反映されてしまいます。これで良いのでしょうか?
そして、記事中では批判として載っていますが、
「教師の求める振る舞いを生徒が過剰に気にしてしまったりすることで、『隷属する主体性』が育まれてしまう」という話。
確かに、そういう負の側面もありますが、言い換えると、
やんちゃな子も、進学したければ、教員の言うことを聞かなければいけないということになります。
反抗期の中高生を抑え込んで秩序を守る教員の武器の1つでもありました。
それを事実上奪うことになります。
これ以上、教員から武器を奪って、学校の秩序は維持できるのでしょうか?
これは、ちょっと下位層にとっては、どうにも改悪でしかなく、
やっても出来ない子から、やる意欲すらも奪ってしまうのではないかと心配になります。
上位層にとっては、記事にある通り、公平になるからメリットの方が大きいのだろうと思います。
ただ、上位層は、何をやっても出来るので、進学先くらい自分で何とかできるし、出来るからこその上位層です。
最近の流れは、上位層のことしか考えていないように感じます。
下位層を切り捨てているようにしか思えません。
1億総中流社会ではなく、ふたこぶ化した格差社会を目指しているのだろうなと思います。
これで良いのかなぁ?皆さんはどう思いますか?
ボクには、「だからこそ勉強してくだサイ」としか言えないです。