こんにちは。サイちゃんです。
昨日、公式化について書きましたが、
1つは、全て理解した上で、公式を使うことで楽ができるという人。
もう1つは、思考停止で、正方形の面積に0.57かければ良いんでしょ?と何も考えずに公式を使う人。
の部分について、ちょっと深掘りしておこうと思います。
例えば、昨日のラグビーボールの問題。
塾長がうるさいので、ラグビーボールです。
このラグビーボールの問題の解き方を十分に理解して、何度も問題演習をしているうちに、「これは、0.57かけたら良いのではないのだろうか?」と自分で気がついたのなら、何の問題もありません。
そうでなくても、求め方を十分に理解して、「確かに、0.57をかけただけで面積が出るよね」と納得しているなら、それで良いと思います。
しかし、求め方を考えようともせず、塾の先生に、「この問題は正方形の面積に0.57をかければ良い」とだけ教わってしまったら?
あるいは、解き方の説明を受けても、その後に、「実は裏技があってな、0.57かけたらでるんだぜ」と言われ、解き方など全部忘れてしまったら?
ただ、こういう解き方を全否定する話でもなく、
例えば九九。
多くの人は、小2の時に意味も分からず覚えさせられて、理屈もわからず使っているのではないでしょうか?
もう少し高尚な話だと、二次方程式の解の公式。
これも、訳も分からず暗記して使いこなしているのではないでしょうか?
球の体積、錐の体積に至っては、中学校の履修内容での証明は困難です。
なんか、そうらしいという理由で使って体積を求めています。
もっと言えば、理科の法則や公式は、
実験してみたらそうだったというもの多いです。
オームの法則、フックの法則は、「実験してみたら比例してるよね」って。それだけです。
公式を覚えて使いこなすだけです。
なので、理解できないことは、使い方を覚えて使いこなすというのも、1つの方法です。
ただ、理解できないことのハードルが低すぎたり、
「覚えた方が早いから、理屈抜きで覚えたらそれで良い」となったりすることは、
ちょっと違うんじゃないかな?と思います。
なので、何でもかんでも覚えて済まそうとするのは、良くないというか、人としてどうなんだろう?ってことです。
パスカルは、「人間は考える葦」だと言いました。考えることを放棄した人は、パスカル曰く、人ではなく、ただの雑草です。
雑草にならなくていいように、まずはしっかり考えてくだサイ。