第51回 教科の特性と解答

ちょっと古い話なのですが、「3.9+5.1=9.0」と書いたら、減点されたという話が、話題になっています。

この話題に対して、アハ体験でおなじみの茂木健一郎先生が、
子どもたちに対する「虐待」である』とブログに書いて、これもまた話題になっています。

そもそも間違いなのか?

まず、気になるのは、「3.9+5.1=9.0」が、間違いなのか?と言う話です。

中学校の数学的に考えると、間違いではないと思います。
ですが、二重丸がつく丸かと聞かれると、多分、二重丸はつけれないかと・・・

理由は、数学は、無駄を省く学問なので、小数点以下が消えた場合、普通、書きません。
普通書かないものを書いていた場合、それは、丸なのか・・・
間違ってないから丸なのですが、それで良いのか?と聞かれれば、疑問が残ります。

中学校の理科的に考えると、有効数字の観点から、二重丸かな?
でも、高校の物理の世界では、ただの丸です。

これは、中学校の理科では、有効数字に本格的に触れないからです。
でも、メモリを読み取るときに、ちょっとだけ触れます。
なので、有効数字が、解答に効いてくることはありません。
しかし、ちょこっとだけ触れているので、そのことを解答に加味していれば、
二重丸をつけたくなるという訳です。
でも、高校の物理では、有効数字を大切にするので、9.0と答えなければ、
誤答になる可能性があります。

算数ではどのように捉えているのか?

ちょっと出展を忘れてしまいましたが、これに対して、文科省は次のように返答したようです。

  • 減点対象になるかは、採点者の裁量によるもの(文科省の指導ではない)
  • 教科書には、小数点以下を消すように書かれている

つまり、教科書にそう書かれているから、教員の裁量で、減点対象としているということです。

教科書に、そう書かれている理由は、筆算で計算した場合、
9.0と90を混同する児童がいるためだとか。

笑っちゃいますが、そういうことらしいです。

教科書に書いてあれば、黒でも白なのか?

そうなってくると、気になるのが、教科書に書いてあれば、黒でも白なのか?という話。

ハッキリ言って、その通りです。

明らかな誤植は別ですが、そうではない場合、教科書が全てと思っておくのが妥当です。

理由は簡単で、学習の先に待つものです。
小学校の場合は、なんとも言えない部分があると思いますが、
中学校の学習の先にあるものは、「受験」です。
小学校でも、私立中学の受験を視野に入れている児童はいますから、
やはり、先に待つのは「受験」です。
そうでなくても、いずれは、「高校受験」にたどり着きます。

入試での採点では、何かをルールブックとして採用して採点をしなければいけません。
微妙な違いが生じた場合、どれを正答とし、どれを誤答とするのか、
ルールを決めなければいけません。

今回のように、9.0は減点するという方針に、
納得する人もいれば、納得できない人もいます。
こういうときに、なにをルールブックとするか。

参考書によって、記載内容が違うことは、珍しくありません。
問題集によって違うことも多々です。
それに、市販の問題集や参考書は、人によって持っているものが違いますし、
そもそも持っていない人もいます。
その記載内容を入試のルールブックに採用するのは、不公平が生じます。

どうしますか?
そう、日本全国の児童・生徒が共通して持っているものをルールブックにするのが妥当です。
それが、教科書です。

教科書に書いてあることは、日本全国共通(正確には違いますが)ですから、
例え間違いでも、教科書に書いてあれば、「教科書に書いてある」と言えるのです。

入試は、学級はもちろん、学校もそれぞれ違う人が集まって勝負をします。
そのなかで、共通のルールブックが教科書となるのです。

そもそも教科によってとらえ方が違う

それは、それとして、算数の教育方針に、数学がどうのとか、理科がどうのとか、
そういうことを言うのはナンセンスです。
なかなか子どもたちは、「教科ごとの特性」と言っても理解してくれませんが、
学問によって解釈が違うのが当然です。

人ぞれぞれ、考え方が違うように、学問ごとに考え方が違うの当たり前なのです。

ホンマでっか!?TVで、分野の違う専門家たちが、激論を交わしているのを見るとわかると思います。
心理学の植木先生と脳科学の澤口先生がよくやりあっています。

算数の考え方、数学の考え方、理科の考え方。
それぞれの専門家が、子どもたちが理解しやすいように、ストーリーを考えて作っているわけです。

もちろん、議論することは大切です。他教科との関連性も大切です。
しかし、そこには、教科ごとの特性があり、
その特性がゆえに、違いが出てきているということを忘れてはいけません。

私が正しいのではなく、他の人も正しく、
そして、そこに違いがあるのが当たり前なのです。

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